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最高裁判所第一小法廷 昭和52年(行ツ)5号 判決

東京都北区豊島二丁目一七番一号

上告人

堀内文吾

右訴訟代理人弁護士

渡辺惇

東京都北区王子三丁目二二番一五号

被上告人

王子税務署長

飯田庄左衛門

右指定代理人

五十嵐徹

右当事者間の東京高等裁判所昭和四九年(行コ)第七五号課税処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五一年一〇月一四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人渡辺惇の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰し、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岸上康夫 裁判官 岸盛一 裁判官 団藤重光)

(昭和五二年(行ツ)第五号 上告人 堀内文吾)

上告代理人渡辺惇の上告理由

原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令違背があると思料する。

一、所得税法の大原則の一つとして、いわゆる実質所得者課税の原則がある(所得税法第一二条)。このことは税制上当然の原則であり、被上告人が上告人に対して更正決定をなした根拠もまたここにあつた。

しかし実質所得者課税を言う以上は、誰が実質所得者であるかを確定し立証する責任は課税者側にあるべきことは自明であり、右の原則の半面であろう。されば、誰が実質所得者であるかを確定すべき課税者側は、実質所得が何時、何処で、如何なる形態で存在し帰属したかを、具体的に明確に立証する責任があるものであり、単なる推定あるいは形式論理による消去法的論法をもつて所得帰属者らしき者を浮び上らせて足れりとするわけにはまいらない筈である。

二、ところで原判決は、第一審判決をほとんどそのまま踏襲し引用しているものであるが、第一審判決の骨子となるところは「堀文商店と原告個人の財産関係はもともと全く区別されておらず、右各物件の取得及び譲渡も、取引に用いられた名義のいかんに拘らず、すべて原告個人の意のままに行なわれたことが明らかであつて、右のような状況の下においては、右各物件は、堀文商店の資産に属していたと認めるべき特段の事情のない限りは、原告が全く自由に支配、処分しうる原告個人の資産であつたと認めるのが相当である。」との認定である。

本件の如く、上告人個人と有限会社堀文商店の会社代表者とが同一人であるケースにおいては、事実として物件の処分あるいは取引行為に関与する者が自然人としての上告人に帰せしめられるのは当然のことである。従つてそれが法人の代表者としての立場からの行為であつたが、個人の立場からの行為であつたかを明確に区分する責任、すなわちどちらと認定すべきかの特段の事情を明らかにする責任は課税者側にある筈である。これを明らかにして、あえて個人の所得なりと言うためには、所得が何処に存在したか、何時、如何なる形で費消されたかを、少くとも推認しうるところまで立証する責任が課税者にはある、と考えるべきである。

まして上告人は、これらの実質所得が法人に帰属したことを一応主張し立証しているのである。たとえば堀文ビルの建築資金の一部に使われたという事実に対し、堀文ビルの建築者(所有者でもある)は株式会社堀文であつて、株式会社ほりぶん(有限会社堀文商店の組織変更されたもの)ではないからとの形式論から、上告人の主張立証は措信しえないという。本件所得が、いわゆる簿外所得裏所得として存在したものである以上形式論から割り切ることは無理である。右の形式論によれば、本件所得の一部が堀文ビル建築の資金に当てられたことが事実であれば、所得の帰属者は株式会社堀文であることになるではないか。

三、かくして、原判決は本件の事実認定にあたり所得税法第一二条の解釈適用を誤つたものと思料されるのであり、このことは判決に影響を及ぼすべき法令違背と考えるので敢えて上告するものである。

以上

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